セレブ出産として有名な病院は山王病院、愛育病院そして聖路加が特に有名ですが聖路加国際病院は、医療設備の充実はもちろんですが医療スタッフの評判も素晴らしい病院です。東京都心部の中ではすぐに名前があがる総合病院ですが、清里の父ポール・ラッシュ博士の最後を看取った病院でもあります。聖路加国際病院の「聖路加」という名前は、聖人ルカから名付けられています。聖人ルカは聖書に登場する人物ですが、ルカが医師だったことあって病院の名前にルカとつけられています。つまり「せいろか」病院ではなくて、「せいるか」病院と呼びましょう!
ルドルフ・トイスラー博士が25歳で日本へ来日していますが、医師でもあるルドルフ・トイスラー博士が診療所を開設して、診療所から病院へと発展させていますがポール・ラッシュ博士も聖路加国際病院を作るための募金に尽力されています。
ルドルフ・トイスラー博士はアメリカジョージア州出身です。アメリカの聖公会という点で、同じ聖公会のポール・ラッシュ博士と同じキリスト教の宗派になります。アメリカ聖公会といえば、立教を設立した宗派としてもしられていますが、アメリカの聖公会が日本へキリスト教を宣教した歩みは、幕末の1859年にチャニング・ウィリアムズ宣教師が長崎に上陸したことから日本での歩みが始まります。
ルドルフ・トリスラー博士は、アメリカ聖公会のチャニング・ウィリアムズ宣教師が1859年に日本へ来日したから41年後に日本へ来日を果たしました。医師としてのキャリアは、アメリカのバージニア州立医科大学を卒業してから、21歳で州立医学専門学校の助教授となっています。
宣教師としてそして医師として、日本へ来日をしたルドルフ・トリスラー宣教医ですが日本で過ごしているうちに、その当時の日本の病院の建築設備や看護婦の状態をみて欧米の病院や看護師と大きく劣っていることに気がつきます。
そのため考えたのは、看護婦の技術向上はもちろんですが社会的な地位を高めることと、看護婦の品位教育をあげること。そして日本の医療水準を上げることが必要だということを感じます。
そして大きな改革をしたのが、アメリカから看護教師を招いて専門職としての看護婦の養成をするための学校を開校しました。看護婦養成学校の入学資格を高等女学校の卒業生としたことは、当時の女子看護教育の中では、驚くべき高学歴を要求したことです。そして3年間の看護婦教育課程としての「聖路加国際病院附属高等看護婦学校」が開校しました。ちなみにこの学校は、日本で一番最初の女子専門学校として文部省からの認可を得た学校でもあり、看護教育をする学校となりました。
看護婦を養成するための専門学校を設立しただけではなく、医師の技量を向上させることを目的としてロックフェラー財団からの援助を獲得して、日本人の医大学生を33名をアメリカへ留学させたり、聖路加病院を設立したりと日本の医療に大きく貢献してくれました。
関東大震災のときには病院の建物はほとんど消失してしまうという出来事がありましたが、その時に清里の父ポール・ラッシュ博士も病院の再建のために募金集めをしたりとルドルフ・トリスラー院長の助けをして病院を再建しました。